本名:北川宥智(ユウチ) 旧名:和之
昭和38年愛知県一宮市、一般在家生まれ。生来病弱で、「自己実現」を追及すべく高野山へ。高野山大学大学院密教学専攻修士課程修了。学生時代の専門は「曼荼羅」「密教の瞑想法(五相成身)」「インド中期密教」。大学院修了後、関西最大手学習塾の講師兼教室長。退社後、愛知岐阜を中心に僧侶活動。阪神大震災のボランティアを通し、現在起きている地球環境問題を知る。環境先進国ドイツへ実地調査に行き、地球環境問題に取り組む。現在は、環境カウンセラーとして妻リツと共に日本国内の問題地を視察し、環境問題の根本的な問題である心の問題と環境倫理・食の問題などにも取り組む。また、寺子屋の主宰者として教育問題に、現役僧侶として現在の宗教の問題点などにも取り組み、各種の講演活動をする。
岐阜県各務原市 高野山真言宗 高家寺住職
環境カウンセラー 市民部門
環境省登録(登録番号 第2000221001号:平成8年環境庁公示第54号 環境カウンセラー登録実施規定)
寺子屋『磨鉱塾』主宰
【学会】
日本密教学会・密教図像学会・宗教倫理学会に所属
【個人ホームページ】http://www.shingyo.netを参照
(注記)講演依頼の場合は、上記のプロフィールをご使用ください。
尚、連絡は osho@kokeji.com または FAX058-383-6328 までお願いします。
社会と個人。この関係を観つめるたびに思うことがある。本当に私達に大切なのは社会に対して云々ということではなく、社会で生き、そこから何を個人として感じ取っていくかということではないだろうか?弘法大師は、人はもちろん、動植物すべてに、さらには石にも山にも海にも空にも、その「いのち」を見出した。その「いのち」を知り、自らの「いのち」を思い切り生かすことこそ生きていることであると私達に伝えている。私もそう思う。一人一人がすべてのものに「いのち」を見出し、それを大切に活かし始め、その延長線上に社会が存在する。社会があって個人があるのではなく、個人も社会もすべてに「いのち」があるのではないのか? |